靴屋さんのこと
私が幼い頃、父はいつも靴屋さんで靴を作ってもらっていて、私はくっついて一緒によく行っていた。とは言え、私自身はさくらちゃんみたいに靴を作って貰ったことは、残念ながら一度もない。
父は靴を誂えていたけれど、別にお洒落だったわけでもお金持ちだったわけでもなく、たぶん足が小さかったからだと思う。当時は既製品の靴のバリエーションが少なくて、合う靴がなかったんじゃないかなぁ。
実家は紳士服屋だったので、ぴたりと身に合った背広はおそらく父には制服のようなもので、それに合った靴も必要だったのかもしれない。
父の御用達(笑)の靴屋さんは、アサヤさんのようにカッコ良くもなく、おしゃれな店でもなかった。作業場と一体化したような小さな店で、頼まれて仕上がった靴と、靴墨やブラシを申し訳程度に並べていただけのような靴屋さんだった。
机の上にはいつも、逆さまになった足型やいろんな切れ端の(にしか見えなかった)革があった。
父は靴を頼みに行く時以外も、よくそこに行ってお喋りをしていた。私はそれにくっ付いて、何をするともなく、靴作りの道具を眺めたり、革の切れ端を拾ったりしていた。
靴屋のおじちゃんは、父と同じくらいか少し年上だったかも知れない。いつも指先が黒くなっていた。そして髭面だった。
小学校にあがる少し前、一度だけ、ひとりでその靴屋さんに行ったことがある。
生まれて初めての腕時計を買って貰って、嬉しくて、それをはめてあちこち歩き回っていたのだった。
顔見知りの靴屋さんの前を通ったので、「おっちゃん、見てぇ」と自慢気に腕時計を見せたら、「ひゃあ、嬢ちゃん、よろしなぁ。こんな時計持ってはるの、嬢ちゃんくらいでっせ」と大仰に褒めてくれた。
私は商店の子だったので、近所の人々は私がどこの子かを知っている。
でも、名前までは知らなかったり、憶えていないことが多く、そのときは一様に「嬢ちゃん」という呼び名で済ますのだ。
靴屋さんは商店街から少し外れたところにあった。商店主は、屋号で呼ばれることが多い。本当の苗字を知らないことも少なくない。
父と一緒にしょっちゅう行っていたせいか、私にとって靴屋さんは、屋号ではなく「Mさん」という名を持つ人だった。でもMさんにとって私は、名前を憶えていない「父の娘」でしかなかったらしい。
幼いながら瞬時にそれを悟って、時計を褒められた嬉しさとともに、少し淋しくなったことを憶えている。
by cssucre2 | 2017-01-11 01:05 | 雑感 | Comments(0)