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ありがとう、という言葉

21日、作家の庄野潤三氏が亡くなられました。
私は、庄野氏の作品が大好きだったので、とてもとても残念です。

平穏な老夫婦の生活の日々を、静かな筆致で描かれた晩年の作品群は、心に穏やかな安らぎと、大切に胸に抱いていたいものを、たくさん与えてくれました。
人々が慈しみ合って過ごすことの心地よさ、「ありがとう」という言葉のやさしさ、平凡な一見地味に見える日々こそが幸せだということを、庄野氏の作品から教えて貰ったと思っています。

私は学生時代、潤三氏のお兄さんの、庄野英二先生に児童文学を教わりました。
授業で様々な作品を読んで、自分の感じたことを言うとき、英二先生は、「すごく」という言葉を使わないように、と言われました。
「すごく」で十把一絡げな強調表現をしないこと。
言葉はもっと大事に、ふさわしい語彙を使って表現するように、と。
「すごく」は一例であって、それはすべての言葉に言えること。
私たち学生が、うっかり「すごく」と言ってしまうと、笑いながら「チョコレート1枚!」と。
チョコレートがお好きな先生への、罰金?です(笑)。
今も、「すごく」を使うたびに、ちらりと英二先生の顔が浮かびます。
そして反射的に、もっと違う言い回しはなかったかと、考える癖が付きました。
大切なことを若いうちに、しっかり教えてくださったことに感謝しています。

日常のささやかなことを大切に、小さな喜びを上手に見つけることは、お二方に共通していたように思います。
だから、きっとあちらでお二人とも、仲の良かったお友達と、楽しくしておられるだろうという気がします。

好きな作家が亡くなって、何が一番悲しいかというと、もう作品が増えないこと。
私は、藤沢周平氏も好きですが、もう10年以上前に亡くなられたので、読んでいない作品がほとんどありません。
好きな作家の作品は、立て続けにガンガン読みたいタイプですが、もういない方のは、けちけちと惜しむように少しずつ、ゆっくり大事に読みます。
何度も繰り返し、ゆっくりじっくり味わうように。
庄野氏の作品も、若い頃のものは多分まだ全部は読んでいないので、これからきっと勿体ながって、なかなか読めないかも。
もう読んだものを当分は、繰り返し繰り返し、読むだろうと思います。

考えてみると、こうして自分の遺したものが、誰かがどこかで大事にしてくれるって、素晴らしいことですね。
私は今さら小説など書けませんが、ひとつくらい、遺せるものが作れたらいいな。
差し当たって今の私に出来そうなことは、私がいなくなっても、ずうっと誰かが使ってくれるような配合を作ることかな。
私のことは忘れられても、その配合がどこかで誰かに使って貰えれば、こんな嬉しいことはありません。
そうかー、生きるって、そういうことかもね?

大切にしたいものを遺してくれた先人の方々に、心から「ありがとう」です。
「ありがとう」という言葉は、本当にやさしい言葉ですね。

by cssucre2 | 2009-09-27 01:26 | Book | Comments(0)